人生後半戦の新おとな学入門

50代60代のためのニューシニア講座 働き方・暮らし方・生き方・学び方・遊び方


◆遊びは時間のあるとき、趣味は時間を作って

友人と待ち合わせをするときには街中の本屋で待ち合わせることがある。待っている間に時間を潰すことができるからだ。読みたい本を探すわけでもなく、自分の好きなコーナーの本をタイトルだけで手に取ったりする。ときには、おっ!と思い買ってしまうこともある。好奇心のままに時間を使うのは遊びの時間である。

一方、なにかを調べたり、読みたい本があるときは、目的をもって本屋へ行き、まず手に取って質感や軽く内容を見て買う。今は電子書籍や通販で簡単に買えるので、目的の本があるときは本屋まで行かないことが多い。むしろ本屋へ行くときは、遊びの時間として行くことが多い。趣味の本となるとシリーズで買う以外は内容を確認したくて本屋へ行くだけだ。

遊びには目的はないが好奇心があり、趣味には目的もあり好奇心もある。


◆遊びは思うがままに、趣味は思いを込めて

子供は遊びの天才である。何もなくても遊びを始める。自作自演で歌を歌ったり踊りを踊ったりする。ときにはなにかを演じているかのように一人芝居を始める。このようなとき子供の頭の中は一体どうなっているのだろう。思うがままに歌い、踊り、演じているに違いない。遊んでるときは頭の中は快感物質で満ち溢れているに違いない。

大人になると子供の遊びとは違って思いのままにということは少なくなってくる。遊びにも目的や理由が必要になってくる。気晴らしだ、気分転換だというのは、自分のためではなく誰かへの言い訳なのかもしれない。同じことをしていても目的や理由があると趣味に変わる。そして目的や理由そのものが趣味の魅力となっていく。

遊びは本能で始まり、趣味は思考で始まる。


◆遊びは長続きしない、趣味はとことん続く


人間の力というのは一気に湧きあがり作り上げられるものではない。時間をかけて継続することで作り上げるものである、というのが「継続は力なり」という格言になっている。なにかのゲームをしていても遊びで行っている人と趣味で行っている人では力が違う。最初は誰でも弱い。弱い者同士でゲームをしたり情報交換するのも楽しいが、すぐに飽きてしまう。そしてまた次の遊びへと移っていく。

弱くても続けることができるのは、好きであったり目的があったりするからだ。そして継続することで力がついていく。力がついていくとさらに好きになったり、目的や目標を上げていくことになる。遊びを遊びのままで終わってしまう人は長続きしない、遊びを趣味に変えれる人は長続きできるひとである。

長続きするには、好きという感情か目的という思考が必要である。


◆遊びのある人生、趣味のある人生

遊びは本能、感情、好奇心によるもので、趣味は思考、目的、継続によるものだとすれば、新おとな世代の遊びはどのような遊びがよいのだろう。基本的に遊びに良し悪しはないとは思うのだが、50歳を過ぎて遊びもほどほど、趣味もほどほどという人が周りには多い。遊びとしてほどほどの人が趣味の会に入ると十中八九で早期に退会してしまう。また趣味としてほどほどの人が遊びとしている人と行動を共にしても楽しくない。どちらもレベルが違うというのが大きな理由になる。

新おとな世代から人生が終わるまでを考えて、続けられる趣味があるだろうか。ゴルフが趣味でも体が思うように動かなくなるときがくる。音楽が趣味でも耳が聞こえずらくなったり、読書が趣味でも視力が衰えてくることもある。趣味が続けられなくなると生きる張り合いがなくなるというお年寄りもいる。ところが趣味がなくても遊び心がある人はそんなことは気にしない。遊び心、言い換えれば好奇心だ。好奇心を持ち続けれるお年寄りは生き生きしている。

◆遊びとはゆとり、趣味とは満足感

遊びと趣味の大きな違いは、遊びは継続的な満足感を得なくても良いことだろう。ところが趣味は継続的な満足感を期待していると思われる。遊びとは行っている行為ではなく、気持ちとして遊び心があるかどうかということだと思う。遊び心、好奇心を持ち続けることが新おとな世代には必要なのではなかろうか。

好奇心が募って同じ遊びを繰り替えす、そうすると自分では遊びだと思っていても周りの人から見れば趣味となる。遊びのままゆとりを持って趣味を楽しむことができれば人生を最後まで楽しむことができると思う。今、趣味を持っている人は、遊び心を絶やしていないかを振り返ってみるのも良い。もし、趣味を持っていない人は、ずっと続けられる遊びを選んで欲しい。いずれにせよ、好奇心を絶やさないことだと思う。

最後に、くれぐれも悪い遊びには手を出さないように付け加えておく。

(了)




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