人生後半戦の新おとな学入門

50代60代のためのニューシニア講座 働き方・暮らし方・生き方・学び方・遊び方




「ライフ(LIFE)」の意味には「生活」「人生」「生命(健康)」があります。今回は「生活」を 「毎日の暮らし」として考えてみたいと思います。


◆暮らしに必要なもの

毎日の暮らしに必要なものは何でしょうか。昔から言われているのは「衣・食・住」の3つです。「食」と「住」は動物でも必要ですが、「衣」は人間特有のものです。動物は裸で生きている代わりに環境に応じた表皮をを持っています。「衣・食・住」の他には何が必要でしょうか。

「水・光・熱」はどうでしょう。「水」は世界的に見れば不足している国・地域もありますが、水の全くないところでの生活はできません。「光」と「熱」も日本とは比べならないほど簡単には手に入らない国・地域もありますが、全くないという生活はしていないでしょう。

人間が現代文明を謳歌できる理由の1つには、「火」と「電気」を扱うことができるようになったからです。一方で「火」と「電気」の元となるエネルギー源を手に入れるために戦争が起きていたことも事実です。戦争は生活に必要なものを奪い合うための戦争だったのです。

現代社会では、「衣・食・住・水・火・電気」を得るためには「お金」が必要です。「お金」もまた生活に必要なもの考えることができます。「お金」は生活に必要なものを得るための手段で、「お金」そのものが必要なわけではありません。現在では「お金」という現金よりも現金に変わる数字だけの「お金」が使われています。預貯金の通帳に印字されている数字、クレジットカードなどは仮想の「お金」です。

基本的に人間は集団で生活します。生活に必要なものには「人」と「言葉」もあります。「人」とは物理的な人ではなく、「集団」を構成している「人」です。「人」との情報交換には「言葉」は欠かせません。また人間は「言葉」を文字や音などあらゆる情報媒体に変えています。

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◆贅沢な暮らし

「衣・食・住・水・火・電気・人・言葉」と「お金」が生活に必要なものだと仮定します。「衣・食・住・水・火・電気」には「量」と「質」があります。例えば、「水」は水は使えば使うほど水道料金がかかります。美味しい水、健康に良い水と聞けばさらに「お金」を払って飲む人もいます。

「量」には多い・少ない、「質」には良い・悪いという判断基準がありますが、この基準委は個人差があります。さらに判断基準が「お金」を基準にしていることもあります。高ければ良い、安ければ悪いと言うような考え方をしてる人もいます。また、同じ人でも生活に必要なものによって判断基準が異なります。

「お金」には「量」はあっても「質」はありません。生活に必要なものを「お金」を基準にして判断するということは「質」を「量」に変えて判断することになります。一方で「お金」という基準ではなく生活に必要な「質」で判断する人もいます。「質」で判断するということは、お金に置き換えた場合、ある人に高く感じても別の人には安く感じるということです。

「人」と「言葉」は「お金」で判断することができるでしょうか。最近はなにかにつけ裕福と貧困という格差問題を耳にすることが多くなりました。これは「人」をお金で判断している、生活に必要なものを「お金」の「量」で判断しているからだと思います。「衣・食・住・水・火・電気」がそろっていれば「お金」は僅かで良いはずです。

「言葉」は言い換えれば「情報」です。質の高い「情報」とは、未来を予測するための情報で、高い「お金」で取引されています。「情報」の「量」が多いというというのは、例えば2個からから1個を選ぶよりも、10個から1個選んだ方が良いという考え方です。前者が「量より質」という考え方であれば、後者は「量は質を生む」という考え方です。

「人」とは「集団」を意味すると前述しました。文化レベルが高いということを便利な生活と考えるならば、生活に必要なものを持つことができるための「お金」を多く持っている人がレベルが高いと言うことができ、裕福な人が多く済む社会が「質」が高いと言うことができます。

文化レベルが高いということを「徳のある人」と考えると、便利な生活ではなく徳のある人達との集団に属することを望むようになります。生活に必要なものの中で「人」だけは「お金」で判断できないものです。それは「もの」ではなく「ひと」だからなのかもしれません。

「贅沢な暮らし」とは、「お金」で得ることができる生活に必要なものがそろっており、便利な生活ができることだと言えます。一方で「お金」で買える贅沢には「人」は含まれないということです。「徳のある人達の集団」に属したければ、「お金」以外の何が必要なのでしょうか。

支出


◆質素な暮らし


「贅沢」の反対は「質素」だと辞書には載っています。「贅沢」はお金で得ることだとすれば、「質素」はお金で得ることができないという解釈になります。私はお金で得ることができる「贅沢」を否定しているわけではありません。むしろ「お金」をかけるべきところには贅沢に「お金」をかけるべきだと思っています。

「贅沢」と「浪費」が違うように、「質素」と「倹約」は違います。「浪費」を無駄遣い、「倹約」をケチと置き換えると分かりやすくなっるかもしれません。「質素」とは判断基準が「お金」ではなく「自分」になります。「質素」はお金ではなく「自分」の考えで得ることができます。したがって自分の考えがない人には「質素な暮らし」はできません。

「質素な暮らし」とは「節度」のある暮らしです。「質素な暮らし」をしてお金をかけないことを「節約」と言い、「倹約」とは違います。「質素な暮らし」をしている人でも、自分の考えで「お金」をかける生活に必要なものと、自分の考えが及ばないときは「お金」で生活に必要かどうかを判断することになります。

例えば、出かけるときにタクシーを利用するのは、お金は使いますが時間の節約になります。公共交通機関を利用した方が早い場合は、タクシーは使いません。生活に必要なものだある「水」、美味しい水道水なら水道水を飲みますし、不快感を感じるような水道水ならばペットボトルの水を買います。時間も不快感も「自分」の考えです。お金を使うか使わないかという判断ではありません。

「衣・食・住・水・火・電気」という生活に必要なもの、またこれらに関わるものは、安定した「質」と「量」を得ようとするならばお金を基準とした「贅沢」な方法を選ぶべきですし、適度な「質」と「量」を選ぶのであれば「自分」で判断して選ぶべきだと思います。贅沢ができるということは、「自分」の考えで判断せずに「お金」を基準として判断することですが、これは考えたくないのではなく「自分」の考えで判断することは「お金」よりも重要なことに使うとも言えます。

「言葉(情報)」は、お金をかければ良いものを得られるとは限りません。「質」の高い情報は「お金」がかかりますが、お金のかからない情報は「質」が高いとは限らないので「自分」で判断することになります。質素とは「自分」が基準になりますので、自分が判断するのに必要な情報を得るために「お金」を使うことは意味のある「贅沢」であり「浪費」ではないと思います。

「人」はお金を判断基準として選ぶことはできません。「質素な暮らし」をしている人が「徳のある人」かどうかもわかりません。ただ言えることは、「質素な暮らし」をしている人は「自分」の考えがあり、質の高い「情報」を持っている可能性が高いということでしょう。

間違ってはいけないのは「質素な暮らしのふり」をしていることとは違います。お金がなくて倹約生活を強いられているのか、お金が有り余っていて「贅沢な暮らし」ができるにもかかわらず、自分の判断を重んじて「質素な暮らし」に見える場合も有ります。どちらにせよ他人の生活が質素かどうかを気にするよりも、自分の生活を質素にできるかということが大切です。



◆ニューシニア世代の暮らし

「生活に必要なものは贅沢に、生活に必要でないものは質素に」というのはお金を判断基準とした暮らし方です。「生活に必要なものは質素に、生活に必要でないものは持たない」というのが質素な暮らし方です。質素な暮らし方でも「質の高い情報にはお金をかけ、人はお金をかけずに自分の考えで付き合う」というのがニューシニア世代の暮らし方だと考えています。

私は「質素な暮らし方」を「シンプルライフ」と呼んでいます。「質素な暮らし方」をしても粗末な暮らし方をしてはいけません。「質素な暮らし方」というと「お金」をかけない暮らし方と考える人がいますが、お金は「節約」はしても「倹約」しません。判断基準は「お金」ではなく「自分」ですのでお金を出し惜しみをするという意味での倹約はしません。

ニューシニア世代になっても「贅沢と浪費」「質素と粗末」「節約と倹約」の違いが分からない人は意外と多いものです。50歳までの生活を省みて、50歳からの生活の基準を「お金」から「自分」に変えること、ここから「シンプルライフ」が始まります。この記事の最初に戻って、自分の生活に必要なものから考えてみませんか。

次回は「ライフ(LIFE)」の残りの2つの意味、「人生」と「健康」について考えてみたいと思います。
(ニューシニア講座は毎週1回、月4回の更新予定)


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