人生後半戦の新おとな学入門

50代60代のためのニューシニア講座 働き方・暮らし方・生き方・学び方・遊び方




◆好きなこと

私は本を読む時には3つの方法で読んています。それは、電書を買う、紙本を買う、図書館で借りるとの3つです。市立図書館で借りた本を引き取りに行くのは近くの区民センターです。


区民センターへ行くと将棋や碁を楽しんでいる方をよく見かけます。年配の方が多いのですが、区民センターでは男性も女性も趣味を楽しむ講座やサークルがたくさん開かれています。


趣味は「学び」と「遊び」が同時にできる時間の過ごし方です。学びというと本を読んだり、先生に習ったりすることをイメージする人もいらっしゃると思いますが、友人から学んだり、同じ趣味を持つ仲間から学んだりすることも多々あります。勉強は嫌いでも好きなことを学ぶのイヤじゃないというのは誰でも同じ気持ちです。

私も学校の勉強が嫌いでした。教科書通りに覚えていくのが性に合わなかったんですね。成績は普通でした。勉強は嫌いだったのですが学ぶのは好きでした。教科書は嫌いだったのですが、参考資料を見たり、参考図書などの教材を見たりするのは好きでした。自分のやり方で学ぶのが好きだった、先生にとっては面倒くさい生徒だったと今では思います。

仕事も同じでひと通り教えてもらった後は自分のやり方で仕事をするのが好きでした。決まったやり方での仕事はどうも性分に合わず、よく叱られたりしたものでした。部下ができるとひと通り教えた後は好きなようにしていいよと任せるのですが、なかなか最初は理解してもらえません。わからないときは質問してとか、責任は上司である私がとるからと言っても、好きなように仕事ができるまでには時間がかかりました。今ではその理由もわからない訳でもないですが。


◆学ぶこと

「学ぶ」にはいくつかの段階があります。まず「知る」と「解る(理解する)」の2つがあります。学校の勉強はこの2つが主です。他にも理解した後に何かに「使う(応用する」という段階があります。仕事ではここまで要求されます。学校出たての新入社員が戦力にならないと言われたり、机上の空論の会議が疎まれたりするのは、知識や脳力を使えなかったり、検討されても実行できないといいうことがこの「使う(応用する」に含まれているからだと思います。

「知る」「解る(理解する)」「使う(応用する」の他にもう1つあります。それは「なぜ知りたいか」という気持ちがあるかということです。この気持ちを「やる気」ということもありますが、理屈で説明できない「感じる」ものが先にあります。学校の勉強でも教え方が上手な先生だとその科目が好きになり、勉強もイヤじゃなくなることがあります。教え方が上手な先生はこの「感じる」ものを刺激するのが上手なんですね。同じように仕事でも上司やリーダーが仕事で「感じる」ものを刺激するような言葉発したり行動を取ったりしたときには、自分ももっと仕事がしたい思うのではないでしょうか。

年を取るにつれてこの「感じる」ものに慣れてしまい、次の段階の「知る」という段階まで進まなくなってしまいます。ニューシニア世代になると「感じる」ことは少なくなり「知る」ことにも今までよりは積極的でなくなってしまいます。「感じる」段階を飛ばして「知る」ところから始めようとします。もっと年を取ると「知る」も飛ばして、「知る」ことなしに自分は「解る(理解する)」段階にいると思い込んでしまいます。今までの知識で新しいことを理解しようとしても理解できるとは限りません。

ところが「遊び」はというと、嫌いな遊びはするはずもなく、いくつになっても新しいことを知ろうとしますし、理解できるまで努力します。「好き」という感情は何よりも知りたいという気持ちにさせるのではないかと思います。仕事をひと区切りした年齢になると、仕事で学ぶことから解放され、好きなことに熱中する、つまりは趣味に興じることになるのだと思います。趣味とは上手とか下手とかではなく、好きなことを学び実践できる一番良い方法です。


ニューシニア講座

 もう少し年を取ると感情を刺激しても上手く反応しなくなることがあります。趣味にも興味がなくなりただテレビを見て一日暮らす、何もすることなく暮らすという日々が続いてしまいます。定年を迎えて趣味もなく一日ゴロゴロ寝てばかりいるという話も耳にします。趣味がないのではなく、好きから始まる「学ぶ」ということがなくなった状態なのかもしれません。好きな仕事をしていなかった場合はなおさらのこと、仕事上での「学ぶ」ことから解放され、私生活でも「学ぶ」ことを避けているのだと思います。

ニューシニア世代にとっては、「学ぶ」ことを早く見つけて実践することが人生後半戦の生き方を大きく左右します。好きなことを「学ぶ」のであって、必要に迫られて「学ぶ」のではないのです。好きなことを仕事にした人は常に学んでいます。仕事以外に好きなことがある人は、仕事で疲れていても時間がなくても好きなことを「学ぶ」体力と時間は惜しみません。仕事以外に好きなことを持つこと、好きなことを学ぶこと、人生後半戦の大きな課題です。


◆好きなことを学ぶ

好きなことはあっても時間もないし体力もないし、ましてやお金もない、という人はいませんか。それは好きなことの知識もあるし、理解もしているが、知識を使う術(すべ)がないということでしょうか。知識は広げることができます。書物やネットで出た知識を知見に変えてみてはどうでしょうか。自分が持っている知識を整理して自分の言葉でまとめてみる、まとめたものを他者に伝えてみるということをしてみてはどうでしょうか。

美味しい料理は作れなくても美味しい料理をたくさん食べていれば知識はあります。ところが美味しい料理の表現を文章では上手く表現するのは難しいものです。このときに文章で表現することを学ぶ方法と、文章以外で、例えば写真や絵で表現することもできます。美味しい料理を食べていればそれでいいという人は「知る」「解る」で満足している人です。それは「学び」ではなく「遊び」で終わっているもったいない人です。

学校の勉強は嫌い、それは「知る」と「解る」ばかりだからです。これが好きなことになると「感じる」が加わります。「感じる>知る>解る」という段階になると「遊び」になります。さらに「使う」を加えることで、自分で料理を作れるようになったり、誰かに料理の美味しさを伝えることで「学び」と言うことができると思います。さらにこの「学び」に対して「評価」してもらうことが「仕事」につながります。

ニューシニア講座

「よく遊び良く学べ」とか「よく遊びよく働け」というのはあながち間違いではありません。ニューシニア世代になると、遊びも仕事もそこそこ、勉強はしたくないというのが本音だと思います。そして「学ぶ」ことはと訊かれたら、好きなことなら学んでみたいと答えるのではないでしょうか。どの世代でも同じように思うかもしれませんが、年を取るにつれて「好き」という感情が薄れてきます。「年をとっても恋をしろ」というのは異性に恋をするのではなく「好き」という感情を持ち続けろという意味だと思います。

ニューシニア世代になると「好き」という感情が薄らいでくる人も目だってきます。「好き」という感情が薄らいでくると「遊び」にも関心がなくなります。もちろん趣味もあるようなないようなという状態になってしまいます。そして「学び」はというと「好き」から始まった「学び」ではなくなります。このような悪循環を起こしていない人は「好き」という感覚、感情がまだまだ健全だと思います。もし悪循環を起こしているのならばもう一度「好き」という感覚を取り戻してみましょう。


最後に注意しなければならにのは、「好きなことをする」というのは、「嫌いなことをしない」ということではありません。「嫌いなことでも行わなければならない」こともあります。特に生活がかかっているときには直面します。「嫌いなことを行っているときでも好きなことは忘れない」と思っていれば、もう一度「好き」という感覚を必ず取り戻せると思います。
(ニューシニア講座は毎週1回、月4回の更新予定)


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