前回は「健康情報は自分に合うものだけを知識に変える」ということについて考えてみました。今回は「介護情報」についてですが、私自身の介護経験を元にして考えてみたいと思います。




◆健康情報と介護情報

私は10代で健康を害し、それ以来、持病というものを背負って生きてきました。と書けば重苦しく思えますが、そんなことはありません。

持病持ちには持病持ちの健康方法もありますし、持病が原因で健康を害さないように健康情報には敏感になりましたし、健康管理も健康な人以上にするようになったと思います。「一病息災」です。

ところが、介護情報は、両親が介護状態になるまでは、健康状態の延長戦にあるものだと理解していました。

新おとな学


◆私の介護遍歴

母親は60歳を前にして脳梗塞で倒れました。その時、父親はすでに定年退職していましたが、気が動転して何もせずに母親の傍に付き添っていました。私の介護生活の始まりです。

父親は、誕生日前に退職していましたので、早期退職です。そして3ヵ月、何もせずに寝てばかりいた父親はボケたのです。そのボケの症状を見ているので、母親が倒れた時にいずれ両親の介護をしなければならないとは思っていました。


◆母親が車椅子生活

母親はその後、5年位おきに脳梗塞を繰り返し、糖尿病や狭心症を併発し入退院を繰り返していたのですが、その度に見事に復活していました。そして70歳を過ぎた頃、くも膜下出血で生死をさまよい、また復活しました。ただ半身不随になり車椅子生活となりました。

母親と父親の強い希望で在宅介護になったのですが、やはり父親の負担は大きく私も実家に寝泊まりすることも増えました。そして、父親が癌になり大手術を行った後、思うように歩けなくなったのでした。


◆ダブル介護の果てに


子育てと親の介護が重なることをダブル介護というそうですが、私の場合は両親の介護がダブル介護です。父親はその後、3年で4回骨折し、リハビリをする気力もなくほとんど寝たきりとなり、母親と同じく車椅子での生活を送りるようになりました。

母親は、くも膜下出血がどのように影響したのかわかりませんが、性格も変わり、生活も昼夜逆転し、施設に入ることができたものの、毎日、顔をださなければならない状態でした。父親は、何度かボケを繰り返しているうちに私のこともわからなくなりました。




◆介護から学んだこと


  1. 介護とは個人の健康管理の問題ではなく、予期しなければならない人生管理だということ
  2. 介助とは生活の一部を補助することだが、介護とは生活の中に入って生活を補わなければならないということ
  3. 介護には介護者と要介護者の人間関係が必要であり、信頼関係がなければ本当の介護は成立しないということ
  4. 要介護者は自分の状態を理解もできなければ説明もできないし、被害者意識が持つようになるということ

他にもまだあるのですが、最終的には介護を受けている母親も父親も、介護を受けているのではなく、看護を受けているという気持ちになっていました。


◆介護の情報は「きれいごと」

親の介護は一生に一度か二度あるだけです。母親の介護の経験は父親には当てはまりませんでした。介護の方法は、人の数だけあるということです。介護の情報は「きれいごと」です。

「きれいごと」にしなければ、誰も自分が介護状態になりたいと思わないでしょう。ただ介護状態になってしまうと、多かれ少なかれ「自分は介護されている」という意識はありません。

介護の情報は介護者側からの情報がほとんどであり、要介護者側からの情報はほとんどないのです。だから「きれいごと」にならざるを得ないのです。これが介護の難しい所だとつくづく感じています。


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両親の介護にあたって多くの方の協力を得ることができたことに感謝しています。これから先、介護者よりも要介護者が増えるという現実を考えると、少なくとも自分は介護を受ける前に介護者の負担をできるだけ少なくしたいと思うばかりです。それが家族でなくてもです。

次回は、介護生活に続く「終活」について考えてみたいと思います。





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