人生後半戦の新おとな学入門

50代60代のためのニューシニア講座 働き方・暮らし方・生き方・学び方・遊び方




人生後半戦、いろいろなことが起きる。
その日が、本当に来るなんて思ってもいなかった。


119に電話 ここから始まった


いつもならもうそろそろ治まるころだと思いながらもなかなか治まらない。心臓の上あたりが痛い。息も苦しい。症状自体は1ヵ月に1回くらいはある。特に雨の日にはこの症状が出やすい。こういう時には、念のための行動がある。

玄関の鍵を開け、健康保険証・通院している病院の診察券・スマホとクレカ・家の鍵を手元に用意する。それにしても痛みが治まらない。電話で「119」を押し、あとは通話だけの状態にして治まるのを待つ。

今回はヤバそうだ。「通話」を押した。

声が出ない


コール1回目で通じたと思う。このあたりから記憶が定かではない。「救急車、お願いします」と言ったつもりなのだが、声が出ない。この時、これはかなりヤバイと思った。電話の向こうで、「火事ですか、救急ですか?」と聞かれたと思う。

「きゅう、きゅうしゃ」と絞り出すようにして声を出した。心臓が痛くて、息が上手く吐けない。正座して前のめりになり、頭を床につけていたと思う。名前を言おうとしてもやはり声が出ない。途切れ途切れに名前を声に出す。

住所を聞かれたが、住所がまったく声にならない。心臓が苦しいより、声を出す方が苦しい。住所の前半を言ったところで、「今、救急車を向かわせますから」と言われたと思う。番地を訊かれたが、たった3桁の番地が声にならない。やっとのことで番地を言い終えた後、、、、覚えていない。

救急車到着


遠くから救急車の「ピーポー・ピーポー・・・」が聞こえてきた。途中で音が聞こえなくなった。アレッと思ったその後、玄関チャイムの音が「ピンポーン」と鳴った。もう目の前は真っ暗だ。「どこが痛いですか?」「病院にはかかっていますか?」・・・と聞かれたと思う。

なにか答えたと思うが、覚えていない。近くの大学病院へ搬送すると聞こえたのが最後だった、担架に乗せられたような気もする。そこから救急車に乗せられのも、降ろされたのも、覚えていない。ただ、救急隊の人が胸を触って大きな声を出していたことだけ覚えている。

その様子を救急隊の人の後ろから自分が見ている画像が今でも頭に残っている。まさかとは思うが・・。

病院へ到着


病院へ到着したのも、救急車から降ろされたのも記憶にない。次に気が付いたのは、病院の廊下を金属的な車輪が鳴り響く、テレビでよく見るあのシーンである。そしてベッドに移され、ズボンとパンツを引きずり下ろされ下半身が露わになった。

上半身は長袖のシャツを着ていのだが、ハサミでタテに切り裂かれた。「あ、丸裸だ」とだけ思ったのを憶えている。なにかやたら大声で言われたり、聞かれたりしたが、ほとんど覚えていない。酸素マスクを付けられていたのだが、これがとにかく苦しいのだ。

その後、ここでなにがあったのかは記憶にない。

カテーテル


次に意識が戻ったのは、右脚の付け根からカテーテルを入れているときだった。この時も、名前を何回も呼ばれていた気がする。声を出して答えたいのだが、口の中がカラカラに乾燥して声にならない。酸素マスクを外して欲しいと思うのだが、叶うはずもない。

どのくらいカテーテル治療をしていたのかも分からない。カテーテルの中でなにかが動いているのがわかる。生温かい感触が胸にあるのだ。これは以前に狭心症のときに行ったカテーテル治療と同じだ。ただこんなに苦しくはなかった。

意識が遠くなったり、また意識が戻ったりを繰り返すしながら、やっとカテーテル治療が終わった。そしてこう言われた。

心臓が止まった


「心臓が止まったんですよー。血管が詰まっているところを取り除いて、また動くようになりましたからねー。」とか、こんな感じのことを言われたと思う。このときは心臓が止まったといっても、また動き出したのだから、そうなのかとぐらいにしか思わなかった。

そして、ICU(集中治療室)に運ばれた。右腕、左腕に点滴が繋がっている。右足の付け根にもまだカテーテルが入っているっぽい。右足首をベッドに固定され動かないようにしている。左脚だけがなんとか動くのだが、寝返りが打てない。

「みず、みず、、、」とだけ繰り返していた。声にならない声が、やっと看護師に届いた。ガーゼで唇を濡らしてくれた。思いっきり水を吸い込みたかったのだが、ガーゼにはのどを潤すだけの水分が含まれていなかった。

そして看護師から言われたのが、
「良かったですねー。心肺停止になったんですよー。」

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