人生後半戦の新おとな学入門

50代60代のためのニューシニア講座 働き方・暮らし方・生き方・学び方・遊び方


人生後半戦、いろいろなことがある。
一時は重篤な状況だったことは理解したが、これから先はどうなるんだろう。


個室に移った


心肺停止から3日め、ICUの個室に移った。ここでどのようなことが起きるのだろうかという心配とは裏腹に、点滴が一本減った。これで右手が血圧を測る腕帯だけになりかなり自由に動くようになった。右脚も固定していたバンドが外れた。

残るは、左手首の24時間点滴、右脚の付け根のカテーテル、右腕の血圧を測る腕帯、採尿用の管、心電図のための電極が10個くらいが体についている。ベッドから起き上がることは許されず、30度までの傾斜が許された。

そして、交代の看護師、病院の他のスタッフが来るたびに、緊急連絡先について訊ねられた。スマホを見なければ分からないと言うと、個室に移ったので連絡を探すだけならOKだと言われた。そうだったのか、それで個室に移してくれたのかと勝手に思ってしまった。


スマホがない!?


救急搬送されたときに預かってもらっていた私物を持ってきてくれた。保険証に診察券に鍵に・・・、なんということだ、スマホがない!

自分で手元に置いて119に電話したつもりだったが、自分で持ってきたわけではない。救急隊の人がどこかへ置いてきたのだろうか。それとも家にあるのだろうか。これで緊急連絡先を知る術はなくなった。身内で覚えている電話番号もなく、親しい友人知人の電話番号も覚えていない。

これからは緊急用の連絡先を書いたカードと保険証は一緒に持っていたほうがよいな、と他人事のように考えたが、今回の解決策にはならない。住所と名前で104で探してもらったが、該当者なしだった。

やっとのことで思い出したのが、親の代からお隣さんとしてお付き合いしていただいている隣家の電話番号だった。試しにかけてもらった。二度目でつながった。そしてわざわざ病院まで来ていただき、鍵を渡してスマホを持ってきてもらった。ここでは書ききれないくらい感謝に堪えない。


連絡がついた


通話はできないので、身内にSMSとLINEで連絡した。ほとんどが遠くに住んでいるので、市内に住んでいる数少ない身内に頼んで必要なものを自宅から持ってきてもらった。とは言っても、予備のスマホと充電器、クレカとプリカさえあれば良かった。持ってきてもらっただけで、ICU内で自由に使うことはできなかった。

病院側も連絡先がわかったので一先ず安心したようだ。そして今日もマグロ状態で体の清浄をしてもらった。意識が戻って苦痛が和らぎ、静かな個室で体を拭いてもらっていることを考えると、年甲斐もなく妙に照れくさい。ただ、ICUに居る限りは仕方がなさそうだ。

食欲はない。食事の時に、体を少しだけ起こしてもらえるようになったので、毎朝のヨーグルトとフルーツ、玉子豆腐やスープなどを口にすることはできた。点滴のせいか、喉も乾かずお腹も空かず言う日が続いた。


ガッチャンの正体


個室に移ってからも「ガッチャン・ガッチャン」という足元の機械はなくならなかった。気になったので看護師に聞いてみた。心臓の動きを補助する機械だと教えてくれた。左脚付け根のカテーテルを通して心臓の近くでバルーンが膨れたり縮んだりしているそうだ。

一般病棟へ移ってからネットで調べたら、「バルーンバンピング」というらしい。自分の力で心臓が動かないときに、心臓からの血流をバルーンで補助してくれるらしい。入院直後はこの機械の機能を最大限にして心臓を補助していたそうだ。

確かに「ガッチャン」というリズムと胸の中央に感じるピクピク感が一致する。そうだったのか、心臓のダメージとはそういうことだったのかと、理解が深まるたびに生死の境だったんだなと改めて実感として湧いてきた。


検査は続く


検査と言っても検査室へ行く訳ではない。エコーもレントゲンもICU内で行う。マグロ状態は変わらないのだ。飲み薬も少しずつ増えていく。点滴から飲み薬に変わるらしい。ここまでは今までにも経験していた。24時間の監視状態が続く。

担当医が回診の時に病状の説明をしてくれる。今までの生活状態のヒアリングを行った段階での途中経過での説明だと前置きはあるのだが、生活状態は悪くはないようだ。心筋梗塞の原因となる「食生活(塩分・コレステロール)・高血圧・喫煙・ストレス・運動不足」は該当しないようだ。

主たる原因は、10年前に狭心症のカテーテル治療で留置したステント内が詰まったことが原因で、本来服用すべき薬を継続して服用していなかったことによるものだろう、というような説明を受けた。退院時に説明を受けた検査結果にも「急性心筋梗塞」「ステント血栓症」と書かれていた。

確かに、この10年間は両親の介護で喫煙・飲酒こそなかったけれども、その他のことは思い当たることがある。介護が終わった昨年からは、体の調子もよく、高血圧で通っている病院の医師からも太鼓判をもらっていた。その分、薬も飲み忘れ、飲み残し、飲まない回数も増えていたことは確かだ。


そして入院して一週間後、やっとその日が来た。
「明日、管(くだ)を抜いて、その後に一般病棟に移ります」というお告げだった。


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