人生後半戦の新おとな学入門

50代60代のためのニューシニア講座 働き方・暮らし方・生き方・学び方・遊び方


またひとつ齢をとった。あと何回こう思えることだろうかと思ったら、いつもとは違うことを書いてみたくなった。 今までの当たり前が当たり前でなくなってからは遅いのだ。



今まで当たり前だと思っていた大切なこと


いのち

とにかく毎日生きてて良かったと思えるようになった。昨年の秋口に心筋梗塞で一命を取り留めた。救急車で運ばれた日のほぼ丸一日の記憶がない。気が付いた時はおそらく手術台の上で名前を呼ばれて返事をした記憶があるが、そのあと意識がなくなった。その次に目が覚めたのはICUだった。それから毎朝、目が覚めるたびに生きている実感を味わっている。

じかん

ICUで目覚めてから3日間、手足を動かすこともできず、食事も喉を通らず、ただただ時間が過ぎるのを待っていた。今は毎朝目が覚めてから眠るまでの時間をどのように過ごそうかと考え、実際に体を動かして一日を過ごせることに幸せを感じている。やりたいことに時間を使うことも、やりたくないことでも時間があることに感謝している。

ねむり

心筋梗塞で約2週間入院し、退院した直後は眠るのが怖かった。ここで眠ったら目が覚めるのだろうかという漠然とした不安である。ただ夜中に不安で目が覚めることはなく、朝まで眠ることができた。慣れ親しんだ寝具で眠る安心感は格別の眠りである。今では寝具に愛情を込めて毎日ベッドセットをしている。

おかね

退院後3ヵ月めに検査をして順調に回復していることがわかった。心筋梗塞後の心臓は元には戻らない。なので仕事も生活も元に戻してはいけない。そうなると気になるのがお金の流れである。でも心臓に負担をかけるようなことはできない。神経質になって考え過ぎてはいけない。そこで決めた。

「がんばらない・むりをしない・がまんしない」 




今まで当たり前だと思ってはいなかった大切なこと


がんばらない

50代60代になるまでにいといろと頑張ってきた。50代60代であれば誰もが頑張ることで欲求を満たしたり自己実現を行うことで満足感を得た経験はあると思う。「頑張る」ということは自分のできると思っている範囲より少し先まで行ってみることである。「頑張らない」とは自分の範囲で行なえることだけ行うということだ。 頑張らないで生きることにした。

むりをしない

「頑張る」と「無理をする」は同じように使われることもあるが、自分のできる範囲でも無理をすることはないだろうか。私にとっての「無理をしない」とは、やりたいことはやる、やりたくないことはやらないという意味である。自分でできることであっても、やりたくないことはやらないことで気持ちを楽にするということだ。

がまんしない

この齢になるまでに「我慢しなさい」と何度言われたことであろうか。今思い直せば自分が我儘だったこともあったろうが、必ずしもそうでないこともあった。我慢すると時間が増えるだろうか、お金が増えるだろうか、そんなことはない。我慢することで、時間を有効に使えるだろうか、お金を有効に使えるだろうか、これは少し思い当たることがある。でも我慢しないことに決めたのは、これから先のことよりも今の方が大切になったからである。

いまをいきたい

50代60代になってなにを甘いことを言っているんだと思うかもしれない。そう思われると思って今まで我慢してきたし、頑張ってきたし、無理もした。心臓が止まって分かったのは、人が死ぬときは一瞬であるということだ。死んだ先にあの世があるなら、あの世では後悔したくないし、後悔しても生き返ることはできない。輪廻転生を信じている人にとっては言語道断に思うかもしれないが、今を生きたい。




◆◆◆◆◆

ぐだぐだと書いてしまったが、50代60代で人生が終わるような考え方は昔の話である。定年とか老後とかという人生の末期を思わせるような言葉は死語となりつつあり、人生という考え方も変わってきている。「人生は一度」と言っていた人も「二度目の人生」と語る時代になったのだ。

健康や介護や年金の対策を考えることよりも「考え方を変えること」の方が重要だと思う。もう昔の50代60代とは違うのだ。また人生後半戦であることも事実なのだ。人生後半戦になった50代60代をどう生きるか、これが現在50代60代の世代が真剣に考えなければならないことだと思う。




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